儀  仗

 夏も終わりの宿直の晩、御簾の近くで風に当たっていた源博雅の隣に静かに座す者が一人。一条に住む源雅信だった。少しばかり思い詰めた顔をしている。博雅は彼の存在に気がつきながらも、声は愚か顔をそちらに向けようともしなかった。ただ閉じていた目を開け、雅信が口を開くのを待っていた。

 「博雅。一つ尋ねたいことがあるのだが・・・・。」

 蝙蝠で口元を隠し、聞こえるか聞こえないか位の小さな声で告げる。そこで始めて博雅は彼に向き直り、微かに首を傾げてみせた。そして一瞬他の公達の方を一瞥し、何でしょう?と小さな声で応えた。

 「重信のことなのだが、おぬし何か聞いてはおらぬか?」

 重信は雅信の弟に当たり、博雅の笛友達でもあった。

 博雅は違和感を感じていた。いつも歯切れの良い雅信にしてははっきりとしない物言い。それに視線が定まらず、何処となく落ち着きがなかった。

 「何か。とは――?」

 「これは失礼。最近様子がおかしいのだ。何やらぼぅっとしていることが多い。」

 仕事熱心な重信が、ぼぅっとしていることが増えたのだと雅信は言った。博雅が更に尋ねると、昼はそういうことはなく夜の宴席に於いて、宿直の日も何ともなしに外を眺めていることが増えたというのだった。他の公達に心配され、雅信は六条に居を構える弟の所に足を運んでみたものの、本人は至って異状なく、却って訝しがられた旨を伝えた。

 「怪異に遭ったのではござりませんか?」

 博雅の問いに雅信は首を横に振る。そしてふと思いついたように博雅から視線を外し、一人納得したように首を軽く横に振った。

 「何か該当することでも?」

 「いや、何。若しかしたら恋をしているのかと思ってな。」

 口元は笑っていなかったが、雅信の目は苦笑の色を隠さなかった。目の前の博雅そして弟の重信。この二人は宮中で首位争いをする位、その手の事には疎いからだった。しかし幾ら二人が疎いといっても、自分の気持ちを伝える方法まで知らぬ訳ではない。それは雅信も知っている。そして六条を訪ねた折に傍仕えの者からも、そういったやり取りがあったのかという情報も収集している。勿論結果は否だった。尤も口止めされているかもしれないという可能性も否定しきれないが。

 「・・・・・・ただ、若しそうだとしたらそれはそれで喜ばしい事なのだがな。」

 ぼそっと雅信はこぼす。弟を思い遣る兄の表情を見せた雅信に、博雅は目を細めた。笛友達とはいえ、博雅にとっても重信は弟にも近しい存在でもあったので、雅信にこう問うた。

 「雅信殿。私からも一つお尋ねしたきことがあります。それはいつからなのですか?」

 「ここ一月ばかりの事だ。」

 一月・・・・と口にし、博雅は自分の記憶をまさぐる。彼が重信に最後に会ったのは、一月半も前のことだった。そのことを雅信に告げると、博雅は不安を取り除くかのようににこっと笑った。

 「仮に何かがあったならば、私なら怪しまれずに『何か』を聞き出せるかもしれません。」

 二人の目が合う。どちらともなく顎を引いた直後、博雅に声が掛かった。会釈をして去っていた背を、雅信は暫し見送った後御簾の向こうに視線を向けた。しかし彼にはその視線の先には何も見出すことは出来なかった。



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