本名はGeorge Kastriotu(ジェルジェ・カストリオートゥ)

 Iskender bey(イスケンデル ベイ)もしくは Scanderbeg(スカンデルベグ) Tの方が一般的な呼称。

 1403-1467.1.18のアルバニア人。

 書籍によっては王族とされているが、豪族であったカストリオートゥ家の四男坊で、幼時にトルコ帝の人質となる。回教徒となり才能を認められてサンジャク・ベイ(郡長)となる。イスケンデルはその才能を認められた時に付けられた呼称。ベイはトルコ語で長という意味。イスケンデルはアレキサンダー大王のペルシア語読み。

 トルコのアルバニア討伐(1435年〜1436年)をボイコット。やがて帰国してヴェネツィア、ハンガリーとよしみを結びキリスト教に改宗。

 その後トルコがハンガリーに敗れたのに乗じ、反乱を起こし(1443年)教皇、ハンガリー、ナポリの支持を受け独立の為に戦うが、休戦条約の締結を強要され(1460年)、ゲリラ戦に訴えるも再征服された。

 1453年 オスマントルコ コンスタンティノープル占領によりビザンティン帝国滅亡。

 1454年 オスマントルコの脅威を背景にミラノとヴェネツィアが平和条約を締結。

 1455年 上記にフィレンツェ、教皇庁、ナポリが加わる。

 上記の平和条約は"ローディの和"という。ちなみにアルバニアの英雄イスケンデルは、これを知って「始めにイタリアを潰しておけば良かった。」とまで言った。

 彼は当時のオスマントルコの支配者(肩書きは征服王だったと思う)を大いに悩ませていたことは事実。イスケンデルが亡くなった事を知った征服王は、小躍りして喜んだという。

 一族からも脱落者を出しながらも4年間彼は戦い続け、結局熱病でこの世を去ることになるのだが、彼亡き後10年以上も征服されることはなかったといわれている。そんな彼が追憶されるのはかなり先、1898年の事。『Na’im Bey Flasheri(ナイーム ベイ フラーシュ)』の叙事詩で語られる事となる。

 彼の別称である、スカンデルベグは、アルバニア人特有の衣装の名。イラストの服装はアルバニアの農民服をアレンジしたものです。模様は帯だけアルバニア仕様。

 使用武器は大剣。剣を作ってもらう時、依頼主が剣の製造行程に全てに立ち会うと、その剣は依頼主にとって最強の武器となる。というジンクスがあるのだが、彼はそれを実行したと伝えられている。

 タロットカード的解釈をすれば"剣"は風の属性に属するのだが、"剣の製造行程"は火、地、風、水の四大エレメンツを一巡する(土から取り出し、火で錬り上げ、風で強化し、水で磨く)ので、それに受け入れ先の既存エレメンツ(依頼主)が変化途中のエレメント融合体(剣の製造行程)に付き合う事により、よりアストラルチャンネル(精神的結び付き)におけるリンク(パイプ)が強くなるのではないか。というのが、ジンクスの根底にあるような気がしますが。尤もこれは個人的な解釈なので、実際は違うかもしれない。

 四大要素絡みの話は恐らく、直ぐ南の国家・ギリシアからの影響ではないかと思われる。