め ぐ り

 同じ頃、時行は自邸の庭で益母草やくもそうを摘んでいた。被衣も烏帽子も着用しておらず、白張に草履、そして長い髪を後ろで一つに束ねているだけだった。さぁっと風が流れ、時行は顔を上げた。大部分が薬圃となっている庭と母屋と離れ、そしてその二つを繋ぐ、渡殿のような立派なものではなく長い長い屋根付きの打橋が視界を占める。そこに誰もいないことを確認した後、時行は風下に顔を向けた。

「久しいな。」

 時行よりも幾らか年上の男性がいた。彼は声を掛けた時行に対し、軽く手を上げて応えた。

「風下から近づいても分かるか。」

 うすい墨染めの水干服を纏い、時行同様長い髪を一つに束ねた男性は言う。その様子をしげしげと眺めた後、時行は先程までしていた作業の続きをしながら問う。

「判らいでか。昨晩は、雨雲ううんだったのだろ・・・・・・。」

 すると男性は袖を翻して、首を傾げながら匂いを確かめる。

「ちゃんと浄化はしたのだが・・・・・。」

 その言葉を聞き、時行の頬がぴくっと引きつる。それから摘んだ益母草を入れていた篭を腕に通すと、男性に近づいて何も言わずにひとえの襟を遠慮なく左右に押し広げた。点々とした鬱血した痕が日の下に晒される。

これ・・でもか?大分れ込まれたご様子で。」

 不快感を露わにする時行に対し、男性は飄々と答える。

「そりゃあ、大分入れ込んだから。」

 そして、意味有りげに笑ってみせる。意を解した時行が見る見る真っ赤に染まってゆく。

「どうして紅蓮ぐれんはそうはしたない事を口にするのだっ!?」

 紅蓮と呼ばれた男性はお互い様だろ。と言って笑い、漸く名を呼んでくれたな。久し振りだから忘れられたのかと思ったよ。と言いながら広げられた襟を整えた。時行は手で顔をはたはた扇ぎながら、ぶつぶつ文句を言う。聞いていないと思いながらも一頻ひとしきり文句をたれた後、口調を常調子に戻して言った。

「離れで待って頂けまいか?」

 そう言われた紅蓮は適当に返答しながらさっさと時行に背を向けた。時行は手に下げていた籠を益母草やくもそうである程度満たした後、離れの裏手へと姿を消した。それから程無くして空の籠を手に母屋の方へと移動し、次に姿を現した時は折敷おしき昼餉ひるげを乗せて打橋を渡って離れへと向かっていった。勿論昼餉は二人分だ。

 時行が離れに入って目にしたのは、几帳に隠れるようにして畳の上で眠る紅蓮の姿だった。一瞬驚いた表情をし、事前に事情を聞いていた為軽く肩をすくめて苦笑すると、折敷を彼の近くに置き、自分は薬棚が高くそびえる場所で次なる仕事へと取り掛かった。しかしそれも、4つ目の案件に取り掛かろうとしたところで中断された。紅蓮が起きたのだ。

「仕事熱心だな。」

「紅蓮ほど肉体労働はきつくないがな。」

「果たしてそうかな?真面目に心配しているんだよ。舞姫さん。」

 むっとした時行の顔を見て、紅蓮はにこやかな笑みを湛えてくすくすと笑う。まるでからかうのが楽しくて仕方がないといった感じである。そんなやり取りには慣れているのか、時行もあまりムキにはならない。憮然とした表情のまま、昼餉はいらないんだね。と言って反撃に出る。するとまるで悪びれずに紅蓮が謝る。

「ところで、紅蓮は賀茂忠行様の所にいる安倍童子は知っているよな?」

 何を唐突に?と言いたげな表情で紅蓮は頷く。そしてよもやお前は知らぬ訳はあるまい?と時行に問い返した。即時行はそれを知らないわけがなかろうと言って否定した。紅蓮は時行の次なる問いを待つことなく言葉を続けた。

「調子というか様子は、やはり流石というべきかな?ただ、妙にいて大人になろうとしているのか、どことなく危うげだな。」

 様子を見に行ったことがあるのか、思い返すように目を彷徨わせ、やがてうんうんと一人納得する紅蓮。

「時間、足りるだろうか・・・・・・。紅蓮も感じていると思うが吾等がまけが集まりつつある。今一度忠行様達と腰を据えて話し合う必要があるかも知れぬな。」

 そうそう喉につかえそうにもない潰れた米粒を、飲み込みにくそうに胃に流し込みながら時行は考え込む。そして忘れていたとでも言いだけに、安倍童子の父とされている安倍益材あべのますきのことを口にした。時行同様、言われて思い出したかのように紅蓮もそのものの名を口にする。

「あの方のことだからなぁ。特に心配するまでも無くどこか・・・で楽しくやっていることであろうよ。それに必要とされればふらりとどこからともなくやってくるさ。いつものように。」

 特に心配する事も無いだろうと紅蓮に言われ、時行は彼を考慮から外すことにした。もし何か問題があれば、その時は賀茂忠行に頼ろうと決めて。

「あと、昼餉を終えたら・・・・・。」

「分かったよ。付き合うよ。だからその衣を着ているのだろう?」

 紅蓮が願い出るよりも早く、時行が承諾し何故と問おうとした彼に対して先手を打つ。その際紅蓮の方には目もくれず、時行は考え事をするかの如く食事を続けていた。

→戻る