なわせみ



     じんを迎えて解いた者々にどこまで立ち向かえるか
     未来の盃を交わす前から 判っていた筈だ
     うことなどべうもあらずと
     なのに・・・・・・



     見兼みか濁世ぢょくせそばむ――
     佞言ねいげんを忠言と信じて疑わぬ――
     かようなともがらのままに徒死を強いられた その懐抱きょうかい
     さぞや さぞや口惜しかろう



     死光しにびかり? 玉砕たまとくだく?
     今更きよ無言葉なげのことのはで語ってくれるな
     儚き人よ
     御身の精霊しょうりょうはいつ安らかになるのだ?



     日日ひにけに枝が折れ臥してゆく
     これ・・余殃よおうなのか――? 
     れば"が"何の為に
     今斯いまはかく此方人こちと 宮方に天意はざらむや・・・・?



     思い返せば
     背をしらぎあえる程近しところにいた
     なれや
     御辺から八百重やはへことは聞き届けられぬのか
     


     念無し思ひの露はみかし
     うれたむ我が天命
     巡る祥月命日僅かに過ぎて
     貴殿を尋ねる事にことになろうとは・・・・な



--------------------------------------------------------------------------------  「なわ」は「作」のにんべんをむしへんに変えたもの。「せみ」は蝉。  恩地左近⇒楠正成。  恩地左近は楠公八臣のうち、事後を託され桜井から河内に帰された三臣のうちの一人。  翌年河内近辺他を襲った病により、七月(新旧どちらの暦かは不明)、熱病により死去。  但しそれは一説に過ぎず、通説は四条畷の戦いにて戦死ということになっている。  この詩で扱っている七月(※)は新旧いずれにしても湊川の合戦の後としている。  ※湊川の合戦は旧暦五月二十五日、新暦だと七月四日になる。